当たり前だったものたち。
久しぶりに実家に帰省した。
1ヶ月という短い間ではあるが、こんなにも実家を離れた経験は今までなかったので、新鮮な気分だ。
帰ってみると驚くほど私の体に溶け込んで、まるでずっと変わらずにここで生活してきたように感じた。不思議である。
それでも1ヶ月前から、私にとってこの場所は紛れもなく非日常になった。
だからこそ、見えなかった当たり前の尊さに気づくことができた。
作ってくれるご飯、洗濯機に入れたら帰ってくる衣服、自分だけの部屋、広いお風呂や洗面台、声を出して歌うことができること、ふかふかのベッド、うるさい犬、すぐに会いに行ける友達や先輩…
どれも、"当たり前"だったものだ。
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人間は自分が持っているものはなかなか認識できないらしい。
よく悪いことばかり目につくというが、それもきっとできていることや良いことは"当たり前"として享受してしまっているからなのだろうと思う。
なくなって初めてわかるなんて、とんでもなく意地悪な仕組みだと思うのだが、それも仕方ないのかもしれない。
だってそれは良くも悪くも、常に上を目指している結果だ。
満足してしまえば、それ以上良くはならない。
でもだからこそ、今ある“当たり前”をしっかりと噛みしめていきたいと思う。
その上で新しい“当たり前”を増やしていこう。
こんなにも優しくて尊いものたちなのだから。
そんなものたちに囲まれて育った私なのだから。
時には肩の力を抜いて、小休憩。